短編小説「偉人たちの像」

ある日、私は夢を見ていた。気が付くと異なる世界の大きな広間にいた。異世界の香り、異なるが洗練された文化と装飾物。
私は始めて来たのに、その世界のことを隅々まで知っていた。
その文明では、人間がみな生き生きとしていた。子どもたちも、争いがなかった。

案内の存在に、ある偉人たちの像を見せてもらった。その像は、彼らの文明の歴史的な偉人の認識と臨在感を感じ取れる。人間で例えれば、歴史的に傑作である人物に値する。

その文明の子どもたちは、幼い頃からその像にふれ、歴史的に傑作である彼らの英雄の認識、臨在感、物の捉え方、思考の流れ、そういった感覚を主観的に学ぶことが出来る。あまたの歴史的な偉人たちの意識と認識に触れ、幼い子どもでありながら、優れた感性を身につけていた。

そして、彼らは又相手の意識を無意識に感じ取ってしまう、感性の豊かな存在だった。同じ種だけではなく、あらゆる種の感情に寄り添う事が出来る。傷ついた小鳥がいると、その痛みを感じ取ってしまう。相手の痛みを、学ばずにはいられない存在であった。私の中の痛みも、感じ取っている様子だった。

あらゆる英雄の像が並ぶ中、案内をした存在は最後に人間の像に触れた。
その存在は、人間の像に触れながら、人間の意識に触れた時、その器の小ささにとても悲しくなると語った。そして、地球上の人々に目を向けた。地上の生命の意識や認識にも触れることが出来るようだった。

案内の存在と別れ、彼らの町並みも歩いた。自然との調和が取れ、むしろ人工物は少なかった。
三次元的に空間を上手く使い、立体的でありながら歩いている内に、不思議な気持ちにおそわれた。美しい水が流れていた。誰もが、すくい飲むことが出来る。夢見がちのまま、歩いていると、急に目が醒めた。

最後に触れた人間の像、人間の意識の小ささがとても悲しくなった。本当に優れた意識に触れることが出来る彼らは幸せ者です。
幼き頃から、本物にだけ触れられるその文明がうらやましかった。

人間は初期に吸収したプログラムから離れ、まっさらに物事を認識できないようです。洗脳されたフィルター情報から、世界を眺めてもそこに真の知識はありません。本当の知識は自然界とあらゆる階層世界の妙にあります。

私はあの名もなき英雄たちの像を今思い出す。今の人類の統治者たちが、その像に触れたならば何を感じただろう。私は夢の中で本物の器を持つ知識人の意識に触れ、地上の権力者の偽りがよく見えるようになった。全ての嘘が明らかになる今、世界を見渡すと虚像に溢れている。人類の権力を持つ頂上の人間の意識にも触れた。悲しいほど、愚かしいただの人間だった。

私たちは、初めから終わりまで嘘を教えられてきた。しかし、全ては正しく保存されていた。それを知った時、人々はどのような反応をするだろう。私は真実の内容よりも、それを知り人類にどのような影響が与えられるかに興味を持った。私たちは、愚かな者たちに騙されていただけだったのだ。そして、その者たちは彼らが示したほどの力を所有してはいなかった。

本当の知性を持つものは、全てを生み出すことが可能であり所有に興味を持たなかった。すべてを生み出せるにもかかわらず、自らに必要なものを理解し、必要なものをあえて必要な方法で生み出すにとどめた。その理性こそ、私を惹きつけた。
両界のはざまで、私は人類の中にある種の痛みを感じる。全界の意識層に触れ、この世のままならぬものを知る。

私は忠告する。本当の知性は抑制のある究極の合理を有しておきながら、あえて最適地に自らをとどめている。この世界に必要とされたものが動き出す。この世界には、崩してはならない理がある。不可侵領域に手を差し伸べるものは、排除されるだろう。

夢の中で触れた偉人たちの像は、私たちに大きな可能性も示している。世界はそう悪くはない。そろそろ、皆悪い夢から覚めて、美しい世界を築き始めよう。私は夢から覚め、あたりを見回した。そして、静かにほほ笑んだ。

※この物語はフィクションです。