東インド会社に関する私的メモ

東インド会社とは

一七世紀初頭に東インド(東洋)貿易とその植民活動を目的として設立された西欧各国の独占的特許会社。設立は、イギリスが1600年、オランダが1602年、フランスが1604年。
出典 三省堂/大辞林 第三版

17〜19世紀にヨーロッパ諸国がインド・東南アジアの物産の直接輸入と植民活動に従事させた特許会社の総称。国家的な独占企業体で,イギリス・オランダ・フランスの3会社が有力であった

【イギリス】1600年エリザベス1世の特許状で会社を設立。チャールズ2世時代には近代的な株式会社の形態をとる。当初はモルッカ諸島で香辛料貿易に従事していたが,1623年のアンボイナ事件(アンボイナの虐殺)でオランダに敗れて以来,綿布をあつかうインド貿易に専念した。カルカッタ・マドラス・ボンベイの3拠点からムガル帝国内部に進出し,私兵を有して独自の現地外交を展開しながら,1757年プラッシーの戦いでフランス勢力を駆逐した。1765年ベンガル地方の徴税権の譲渡を受けてからは,貿易の利益よりも植民地統治の政治的権力を行使する機関にしだいに変貌した。その後自由貿易要求が高まる中,1813年には茶以外のインド貿易の独占権が剝奪され,33年には貿易活動自体が停止されて純然たる統治機関となった。インド大反乱後の1858年にインドの統治権はイギリスの直接支配下に移されて,東インド会社は機能を停止した。

【オランダ】1602年各市府の商業会議所を合同して会社を設立。世界最初の近代的株式会社の性格をもつ。1619年オランダ東インド総督が会社の根拠地としてバタヴィア(現ジャカルタ)に商館を建設し,独占権を与えられて駐在した。香辛料貿易や植民地経営に従事し,17世紀前半には最盛期を迎えた。18世紀になると,イギリス・フランスの圧迫と植民地経営の失敗から,会社は領土をオランダ政府に移譲して1799年に解散した。

【フランス】1604年に設立されたが不振で,64年コルベールが再建して18世紀には隆盛となった。イギリスと争って敗れ,1796年に解散。
 以上のほか,デンマーク・スウェーデンなども,会社を設立した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版/

1600年から1858年のあいだに,イギリス・アジア間の貿易やインド支配を行ったイギリスの特権的な会社。〈地理上の発見〉以降ヨーロッパ各国がアジアとの直接貿易に進出するなかで,イギリス東インド会社は,喜望峰以東のアジア地域の貿易を独占的に行う特権会社として,1600年12月31日に設立され,57年のクロムウェルによる改組を経て,近代的株式会社として確立していった。イギリス東インド会社は,オランダの力の強かったモルッカ(香料)諸島からは退却し,ポルトガルやオランダの勢力を抑えてインドに拠点を拡大し,のちには,プラッシーの戦などを通じてフランスのインドへの進出を挫折させた。
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オランダの東インドにおける植民地経営,貿易を独占的に行った会社。オランダの東洋進出は,スペイン,ポルトガルより約1世紀遅く,1595‐97年のハウトマンの航海に始まるが,その帰国に刺激されて多くの航海会社が乱立し,過当競争により利益が上がらなくなったので,オランダ連邦議会は1602年3月に連合東インド会社設立を決定した。これによりオランダのアムステルダム,エンクハイゼン,ホールン,ロッテルダム,デルフト,ミッデルブルフの6ヵ所に散在していた個々の会社が統合され,それぞれは東インド会社のカーメル(支部)と改称された。

出典 株式会社平凡社/世界大百科事典 第2版

東インド会社 Wikipedia

東インド会社 世界史の窓

オランダ東インド会社 世界史の窓
世界最初の株式会社と言われる。 

イギリス東インド会社 世界史の窓

今回は主に、オランダ東インド会社と英国東インド会社、そこから派生した勢力を取り上げます。
東インド会社の旗と紋章にも注目、どの勢力が関与しているかがよくわかります。

米国の原型は、英国東インド会社です。
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イギリス東インド会社の北米支社として出発したアメリカ合衆国
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/a2a8f1c317e732b9479b82f98212fc54
東インド会社と米国

米国はイエズス会と東インド会社、シオニストの影響が強いです。

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝5 ― イギリス東インド会社の正体
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=166766
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・レヴェント会社
16世紀末~19世紀初めイギリスの地中海貿易を独占した貿易商人の組合。 1581年女王エリザベス1世から特許状を下付されてトルコとの貿易に従うため設立されたトルコ会社と,83年ベネチアからワイン,干しぶどう,オリーブ油などを輸入するために設立されたベニス会社とが,92年合併して成立。近代的な株式会社への過渡的形態である合本制をとった。貿易のおもな対象はコンスタンチノープルとその周辺で,アレッポとスミルナに支店を設けた。毛織物をおもな輸出品として地中海貿易を進め,17世紀には非常に栄えたが,イギリス東インド会社,フランス人商人,密輸業者などの妨害のため次第に衰え,18世紀にはなんとか続行したが,1825年解散した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

レヴァント会社 世界史の窓

・マーチャント・アドベンチャラーズ商会
イギリス中世末期から近世にかけて毛織物(未仕上げ広幅織)輸出を独占した貿易商人で,マーチャント・アドベンチャラーズ組合(冒険商人組合)を組織した。14,15世紀に台頭しステープル商人を後退させ,またハンザ,イタリア商人など外国商人を駆逐して,イギリス毛織物工業の発達を促した国民的商人である。ロンドン,ハル,ヨーク,エクセター,ブリストルなど国内各地の拠点におのおの独自の組織を形成していたが,1564年エリザベス女王からの特許状によって統一的な組合を形成した。
出典 株式会社平凡社/世界大百科事典

・ドレイク海賊団
フランシス・ドレーク Wikipedia

・ロンドン毛織物商会
Black Box Part.9
https://ameblo.jp/x109loa/entry-12392954820.html東インド会社の前身はロンドン毛織物商会、本部はロンドンにあるインド会館だ

【スパイ考】東インド会社の紅茶スパイ
https://ameblo.jp/karmannfish/entry-12325488710.html

海賊集団から発展したイギリス、東インド会社
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=323057

東インド会社(特に英国東インド会社)を理解しなければならない理由
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=332833

経済覇権国家の誕生
http://157.205.218.1/ruinet.html?i=200&c=400&m=179773

オランダ東インド会社
https://www.y-history.net/appendix/wh0904-057.html

ボストン茶会事件 世界史の窓

ボストン茶会事件 Wikipedia

アメリカ13植民地 世界史の窓

17~18世紀に、北アメリカ大陸西岸にイギリス人が入植して成立した植民地。それぞれが自治を行っていた。イギリス本国による課税強化に反発し、1775年に独立戦争が始まった。

 北アメリカ大陸の東海岸(大西洋岸)にイギリスによって築かれた、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、コネティカット、ロードアイランド、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノース=カロライナ、サウス=カロライナ、ジョージアの十三の植民地。

(引用終わり)

アメリカ独立戦争 世界史の窓

ジャーディーン・マセソン商会の前身は東インド会社です。香港にヘッドオフィスを置きますが、登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトンにあるので、租税回避地に籍を置いています。明治維新で有名なトーマス・グラバーも上海支店の代理店として長崎に「グラバー商会」を設立しました。
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https://twitter.com/RapelTheBabylon/status/1163239897639116801

ジャーディン・マセソン・ホールディングスはケズウィック家が所有していますが、長州ファイブのイギリス留学を支援しました。それにより長州閥に強い影響力を持っているのでグラバーの影響が強い三菱や安倍首相の血脈に深い関係があると思われます。

東インド会社と
やってることが変わらない
株式会社アメリカ
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https://twitter.com/RapelTheBabylon/status/1152504095179022337

オラニエ公=オランダ=プロテスタント同盟側=メーソン=東インド会社側となり、後ろに付いた南朝側が官軍になります。欧州の情勢が一段落ついた後に明治維新が起こります。
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-225.html

明治維新の意味とは?
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/62ada17252b74016eb1e17b728c96f10

来年もよろしく。
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/2e6ed57a409fac7a52021b2ec4fe159a

Bは愛国的か?
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/ad3e19f23329258f2cec49c3135e0480

Eの筆頭格、キャボット家とは・・・・
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/b11b15e273c3d7fa0f77ee051fde0cdd

英国東インド会社がジェノバ・キャボットで、そのお茶を海に投げ込んだのがボストン・キャボットである。これがBとEの対立の始まりである。

Eはその昔、英国の保護主義に嫌気をさしペンシルベニアに重工業をもたらした連中である。
以前話をしたが、ボストンで東インド会社の船から紅茶を海に放り込んだキャボット、英国から借金のかたにペンシルベニアを手に入れたペン、南アのボーア戦争でオランダの金鉱を奪ったローズ・・・これらがEの最高幹部なのである。

英国東インド会社は一見するとD陣営のように思えるが、実はキャボット家である。ただ、先日紹介したペルー提督の奥さんの実家、クエーカーのキャボット家ではない。コロンブスよりも早くアメリカ大陸に上陸したと言われるジェノバ生まれのジョバンニ・キャボットの一族である。

(引用終わり)

カボット 世界史の窓

ジョン・カボット(英: John Cabot, 1450年頃 - 1498年)は、中世の航海者。カトリック教徒。北アメリカ大陸の発見者として知られる。イタリア語名ではジョヴァンニ・カボート(Giovanni Caboto)となる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88

セバスチャン・カボット Wikipedia

セバスチャン・カボット
http://www.stampmates.sakura.ne.jp/Gv-cbtJr.htm

東インド会社の株主であったジョバンニ・キャボット
https://ameblo.jp/ochiboomboom/entry-11997064775.html

奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他
https://satehate.exblog.jp/9879942/


こちらは、東インド会社に反対したボストンバラモンの方のキャボット。マヨさんによるとEの代表格だそうな。

ジョージ・キャボット
George Cabot Wikipedia
キャボットファミリー 
Cabot family Wikipedia


日本の支配層は幕末からユダ金に操られ、戦争法やTPPにつながり、再び侵略へ
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12081369950.html

ショッカーの皆様シリーズ再開! HSBCとスコットランドについて
https://golden-tamatama.com/blog-entry-1199.html

10月13日のワシントンDC アメリカ建国物語その1
https://golden-tamatama.com/blog-entry-1240.html

Black Box Part.4
https://ameblo.jp/x109loa/entry-12392531630.html

Black Box Part.5
https://ameblo.jp/x109loa/entry-12392954895.html

サッスーン財閥とジャーディン・マセソン商会
https://kabukachan.exblog.jp/22125528/

株式会社 ( 年表
http://business-ethics.sakura.ne.jp/home/topics/c02t.html

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イングランド銀行 コトバンク

イングランド銀行 世界史の窓

イングランド銀行 Wikipedia

徳川幕府もオランダ~イギリス東インド会社と関係が深い。
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日英交流は当時の英国王ジェームズ1世から江戸幕府への親書などを託された東インド会社の船が1613年6月に長崎県平戸市に到着して始まった。9月8日は英国の使節団代表が徳川家康と面会した日に当たる。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0700J_X00C13A9CR0000/

イギリス東インド会社と江戸幕府
http://historiajaponica.com/2016/11/04/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%A8%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B9%95%E5%BA%9C/イギリス東インド会社は16世紀にイギリスによって設立された国策会社ですが、短期間ではあるものの、江戸幕府が施政する日本と貿易を行っていた時期がありました。

1611年、当時のイギリス国王ジェームス1世の国書をともにジョンセーリスが来日し、徳川家康と謁見し、家康の許可も得て平戸にイギリス商館が開かれ、リチャードコックスが商館長として仕事をすることになります。

リチャードコックスの在任中、平山常陳という人物がカトリックの宣教師を乗せた朱印船をマニラから日本に向けての航海中にイギリス・オランダの商戦艦隊の襲撃を受け、平戸に曳航されるという事件が起きており、江戸幕府は既に切支丹に対する禁令を出していたことから、その後の切支丹迫害に拍車がかけられていくことになります。

この事件からは1620年の段階では、ヨーロッパのカトリック系国家と新教系国家の間の東洋貿易に関する覇権争いが激しく、同じ新教の国であるイギリスとオランダの船が協力してカトリック系の排除に動いているということが分かります。イギリスとオランダとの間の貿易競争も激しかったようですが、少なくともカトリックに対する態度としては一致していたという理解の方がより真相に近いかも知れません。

1623年にはオランダ人がインドネシアのアンボイナのイギリス商館を襲撃し、商館員が全員殺害されるというアンボイナ事件が発生します。この事件をきっかけに、平戸のイギリス商館は閉鎖され、ヨーロッパの対日貿易はオランダ独占するという状況になります。

1673年にイギリス船籍のリターン号がチャールズ2世の国書を携えて長崎に入港しますが、チャールズ2世がカトリックの国であるポルトガルのカタリナ王女と結婚していることを問題視し、通商を拒否し、イギリスは対日貿易からは完全に締め出されることになりました。

(引用終わり)

イギリス商館 Wkipedia

オランダ商館 Wikipedia

モーリス·ド·ナッソー 1567-1625モーリス、オラニエ王子
彼が国王に成り済ましオランダ東インド会社として日本に多大な影響を与えた人物です。

1609年(慶長14年)、日本(江戸幕府)に進出したオランダ東インド会社はマウリッツをオランダ「国王」とする書簡を駿府で前将軍(大御所)徳川家康に提出し、朱印状による交易を認められた。以後、オランダ東インド会社はオランダ総督を「国王」とするフィクションを維持することになる。
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-246.html

大航海時代の駿府の家康公
http://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/study/05.htm

大坂の陣 オランダに記録 東インド会社駐在員の書簡
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21HBG_R20C16A9000000/

アメリカ・デフォルトは起きるのか!? -11 〜サヴォイ家・ヴェルフ家の世界戦略〜
http://www.kanekashi.com/blog/2014/07/2755.html大航海時代から始まった「イエズス会」・「東インド会社」は、それぞれ布教・貿易を目的として、領域拡大を行っていきましたが、実は、この動きがサヴォイ家・ヴェルフ=ヘッセン家の世界戦略だったのです。

“東インド会社”と“アヘン”を利用し、ボロ儲けした「ヴェルフ家」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=290557

英国東インド会社によるアヘン貿易の真相 by ユースタス・マリンズ
http://satehate.exblog.jp/8777131
英国東インド会社によるアヘン貿易の真相 
大英帝国は海賊行為と奴隷制と麻薬貿易によって繁栄した。

ドレーク海賊団(サー・フランシス・ドレーク[1540?-1596]を首領とする)がマーチャント・アドヴェンチャラーズ商会(セバスティアン・カボット)と変わり、これがのちに東インド特許状会社となった。

(引用終わり)

元英国情報将校ジョン・F・コールマン博士の説によると、三百人委員会の前身はイギリス東インド会社にあるという。

「300人委員会」
http://sun.ap.teacup.com/souun/599.htmlバビロンの捕囚の中に“パリサイ派”という秘密結社ができたが、このタルムード派ユダヤ教の中からルシファー悪魔大王を崇拝する“カバラ学派”が出現し、トーラーとエホバを信仰する伝統的なユダヤ教を捨てた。
この勢力はヴェネチア、オランダ経由で17,8世紀に大英帝国をそっくりまるごと取り込んだ。無神論的な思想を根底にもち、先に紹介したロスチャイルド家はこの一派である。18世紀に英国東インド会社の300人評議会を母胎にして全世界的に発展させた“300人委員会”が設立された。

(引用終わり)

「インデペンデンス・デー」でアメリカが独立した国は?
http://unakarma.info/archives/1028

【再掲載】9/26追記『アメリカ合衆国は東インド会社-北米支店』1776年-独立宣言の前後1年強アメリカの旗は東インド会社の旗だった!2011/6/2 CNN.co.jp:キッドを支援していたのは、実は東インド会社のライバル(貴族、海軍、政府機関)だった。
http://enzai.9-11.jp/?p=5229
ジャーディン・マセソン商会 グラバー商会 明治維新 

東インド会社人物禄
http://www.geocities.jp/bombay_marines/history/history-2.html

壊される日本
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/umanoshuji.html

イギリス東インド会社の忠実な召使いだったトマス・マルサスの『人口論』 by ジョン・コールマン
http://satehate.exblog.jp/8770049

南蛮貿易 wikipedia

明治維新とはなんだったのか:トーマス・グラバーについて (12)
http://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200408220000/
明治維新の正しい理解をしてみようと思います。

明治維新最大の黒幕は、長崎にあるグラバー邸の持ち主トーマス・ブレーク・グラバーでした。
死の商人グラバーです。
グラバーの背後にはアヘン戦争の仕掛け人の大商社、ジャーディン・マセソン商会がいました。つまり、ロスチャイルド→ジャーディン・マセソン→トーマス・グラバーという構図です。
ロンドン→上海→長崎です

(引用終わり)

薩長連合は、国際金融資本によって周到に仕組まれたもの
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/09/413.html

操られていた幕末武士たち
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=300001

一介の下級武士だった坂本龍馬が、なぜ、亀山社中のような組織をつくって船舶まで買って武器貿易ができたのか。

もちろん、長崎のグラバー商会のトーマス・ブレーク・グラバーの存在があったからだ。グラバー商会は、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店。ジャーディン・マセソン商会は、現在も香港を拠点に展開する国際コングロマリットであり、当時は茶やアヘンを取引していた。言わずとしれたロスチャイルド系企業である。

グラバーは日本では最初は生糸や茶を取引していたが、亀山社中とは武器や弾薬を取引した。グラバーが、表立って各藩に武器を納品するのは露骨すぎる。あくまで維新は日本人が独自に成し遂げたように見せかけなければならない。間に入る存在は必要だった。龍馬はそのためのコマだった。

龍馬や亀山社中の連中はたびたびグラバー邸を訪れていた。亀山社中を設立するようグラバーから誘導されたとしても不思議はない。
薩長同盟成立の前、竜馬は長州へ武器輸出をした。このとき、龍馬はグラバー商会から武器を買い入れて、まず薩摩に売った。薩摩を仲立ちにする形で長州へ横流ししているのである。これが薩長同盟のきっかけとなっていくわけだ。

武器証人のグラバーからすれば、幕府の次に新政権が樹立されるにあたって日本国中が内戦状態になればなるほど懐が潤う。国際金融資本と戦争のつながりは長い。彼らは定期的に戦争を必要とする。薩長同盟VS幕府という構図を演出して戦いを煽る。もちろん、最終的な目標はその先の新政権を意のままに操ることだ。中国を毒牙にかけたロスチャイルド一派にしてみれば、次なる獲物が日本だったというわけだ。

グラバーが所属するジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系商社であり、ロスチャイルドの商売とはこういうものだった。国際金融資本家がカネを出さなければ、国家は戦争ができない仕組みが、すでにこのころ出来上がっていた。この仕組みの末端に龍馬をはじめとする幕末の志士たちは組み込まれていった。龍馬はユダヤ系国際金融資本の手のひらで踊らされていたというわけだ。結局、武器商人の手先となって維新の黒幕錯覚に陥った。結果的にこれが彼の命を縮めた。

「吉田茂の欺瞞」は明治維新から脈々とつながる「金貸し支配」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=268552

ケズウィック家 Wikipedia

ウィリアム・ジャーディン (船医)

ジャーディン・マセソン Wikipedia


HSBC•香港上海銀行 東インド会社→ジャーディンマセソン商会→麻薬利益送金部門としてHSBC創立。現在実質上中国の中央銀行 日本日銀、米国FRB、欧州ECB、中国HSBC。頂点スイスBIS

サッスーン家とのちにそれを潰したヘッセン親戚アイゼンベルグ家。

ジャーディン=マセソン商会 世界史の窓

フリーメーソン-30  ジャーディン・マセソン商会
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/622.html

22087、明治維新の長州閥はジャーデンマセソン仲介にロスチャイルド財閥と確実に連携!
https://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/41629f3995b6726042b41964e9a78e50

オランダ海上帝国 Wikipedia

ユーロネクスト・アムステルダム Wikipedia

黒い貴族の生み出した東インド会社とは?
https://archive.vn/ziyRZ
最初の株式会社から僅か4世紀弱。人類の多くが株式会社という搾取システムに所属しているのは興味深い。これは決して生物として正常な状態とはいえないだろう。

支配者の手口は巧妙だ。二手に分かれ、一方では虐殺し、もう一方では追い詰められた人々を宗教を利用し洗脳して奴隷にする。日本でも同じ手段が取られている。日本人は沈黙の兵器で虐殺され、格差システムでお金を奪取されている。

他方で様々なカルト宗教を利用し日本人を奴隷化している。その信者は人口の1割に及ぶだろう。

そして、カルト信者を利用してさらに植民地化を加速させていく。
世界の真実に気付いて行動を始めた人間は、集団ストーカーシステムの餌食となる。
集団ストーカーには明らかに既得権益の維持・拡大、ステルス植民地支配の要素がある。そのプログラムは、イエズス会、フリーメイソン、イルミナティ、東インド会社の要素も含まれている。

東インド会社は、現在の世界支配プログラムを知るうえで書かせません。日本にも今だ大きな影響を与えているので、興味のある人は独自で調べてみてください。