短編小説『集団ストーカー A子の生活』

私の名前はA子、25才の独身OL。
幼い頃は、とても明るく活発な性格で友達も大勢いた。だけど、中学に入りいじめられるようになってからは特定の子としか遊ばなくなった。本当は、学校には行きたくなかったけど、厳格な母に半分強制的に学校に行かされた。

中学でいじめが酷かった時の美術の授業で、美術の先生に絵を褒められた。その後、思い切って私は美術部に入った。

高校に入ってからは美術部で油絵を学ぶ一方、漫画家を目指して日々デッサンを磨いていた。厳格な母親は、漫画家になるという夢を否定したけれど、穏やかな父は応援してくれた。母親は、プロの音楽家を目指し挫折した経験がある主婦であり、プロの世界は甘くないと何度も私に言った。私は結局、漫画家にはなれずに美大卒業後は、地元のとある広告会社に就職し一人暮らしを始めた。

今は実家から少し離れた、某新築マンションの3階に住んでいる。近くには図書館とショッピングモールがあり、とても便利だ。部屋は2DK、一人暮らしにしては少し広い。少し前まで彼氏と同居していたけれど、結局別れてしまった。ベランダからは、海が見え夏には花火大会の花火が見える。

ベランダには観葉植物が並んでいる。私は生き物が好きなので、部屋には大きな水槽とアンティークな鳥かごがある。鳥かごに入っている小鳥のピーちゃんは、以前道端で弱っている所を私が助けたものだ。水槽の小魚にエサをやり、小鳥のピーちゃんに水浴びをさせるのが日課だ。大人になっても、友達は少ないままだけど、趣味と仕事に励み満たされた生活をしていた。

OL生活をしながら、漫画家の投稿は続けて小さな賞ももらった。その時は、飛び上がるほどうれしくて、その賞金で買った大きなTVで、好きなアニメを見るのが何より好きだった。TVの横の本棚にはお気に入りのマンガがずらりと並んでいる。一人暮らしを始めてやめてしまったけれど、家には大きなピアノがあり、子どもの頃は、よくアニメの主題歌を弾いていた。

アニメ好きは、恐らく父の影響だと思う。父は、母に内緒によく映画館に連れて行ってくれた。父と母は全く正反対の性格だけど、不思議と上手くやっていた。私には、姉と弟がおり姉は結婚し、県外で暮らしている。弟は実家から、大学に通っている。

私の生活は、ありきたりだけど、とても平和な日常。
それがある日突然壊れてしまった。そう、あの日からすべてが変わってしまった。

私はネット上では割の有名な絵師(イラストを描く人)で、色々な人に頼まれて同人誌の表紙を書いたり、音楽動画のイラストを描いたり趣味と実用を兼ねたアルバイトをしていた。ある日、政治風刺のマンガのイラストを頼まれた。私は政治にはあまり興味がなかったけれども、依頼者の熱意に押されてOKした。中には、反原発の風刺も含まれていた。

私は父の影響で、自然を愛し、父の影響で反原発主義の思想を持っていた。父の部屋の本棚に、政治的な本や反原発の本が漫画や娯楽雑誌と共に並んでいたことを思い出す。ある日突然、依頼者の男性の音信が不通になった。私がこれまで書いたイラストのいくつかは、広く拡散されていた。私は、密かに嬉しかった。最後の方に頼まれた風刺イラストの原稿代は、払われなかったけれど、元々大した金額ではなかったため、私は気持ちを割り切り他のイラストや、漫画を描いた。

ある日突然、私のSNS,特にツイッターに罵詈雑言のメッセージが入る様になった。私は、怖いのでどんどんブロックした。その中に1つ気になる言葉があった。「お前は、俺たちを怒らせた。終わりだ。」私は、見なかったことにして、趣味に戻った。

翌日から、異変が周りで起きた。
職場で、私がネット上で使用しているペンネームがほのめかされ、職場の帰りに必ず通る道に、私が以前書いた政治風刺のイラストがマスクと共に落ちていた。翌日には、同じところに猫の死骸が置いてあった。マンションに戻ると、異変を感じた。

鍵を閉めていたはずなのに空いている。そして、床に何やら白い粉が散らばっている。占めていたはずのベランダの扉が開けられ、観葉植物が枯れていた。何やら白い粉がかけられていた。私は急いで床を綺麗にした。コンセントに指していたはずのスマホの充電器が机の上にあり、コンセントには隙間が開けられていた。私は怖くなり、警察を呼んだけれどもまともに相手にしてもらえなかった。

ネット上での嫌がらせも増え続けた。私はネットが嫌になり、暫くパソコンから離れて、マンガを読んだり、アニメを見たり、好きな音楽を聴いたり、わかりやすくいえば現実逃避をした。だけど、毎日マスクと白いイヤホンをした不審な人たちが、ぞろぞろと現れ、個人情報をほのめかしてきたり、通りすがりに唾を吐いてきたりする。

お気に入りの本屋に行くと、暑苦しい不審な男性が何故か私がいた女性誌のコーナーにいた。まるで、待ち構えていたみたいで、本能的な恐怖を感じた。私は数少ない、幼馴染の友達に電話した。だけど、「大丈夫よA子、心配しないで。」と相手にしてくれなかった。不安が募る毎日、特に夜中に歩いていると片目ライトの車や、ペンライトを持った不審者が通りすがり怖かった。

出かけるたびに黒塗りの車が現れ、パトカーや救急車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎた。公園のベンチで休んでいると、ヘリコプターまで飛んできて、ケムトレイルを撒く飛行機が上空を飛んでいく。まるで、ホラー漫画の主人公になったみたいだ。私はそう思い、家に帰った。すると、水槽の小魚たちが水面に浮いていた。明らかに、人為的に殺されていた。私は鳥かごに目をやった。小鳥のピーちゃんは無事だった。

私は嫌な予感がしたので、鳥かごを抱えて近くの自然公園に行った。
「さ、お行き!」
鳥かごからピーちゃんを取り出し、空に放った。傷はとっくに完治していた。ピーちゃんは、一度飛び立った後戻ってきて私の肩に載った。私は、青いピーちゃんの体を優しくなでながら、微笑んだ。

その後、心を鬼にしてピーちゃんをもう一度、今度は力強く空に放った。ピーちゃんは、途中一度振り返った後、今度は大空に飛び立った。
「あなただけでも、自由に生きて!」

翌日から、地獄のような生活が始まった。
度重なる家宅侵入の被害、職場でのいじめ、隣室に引っ越してくる明らかな不審者。ある日、孤独に耐えられなくなり、ネットを再開した。そして、自分の身に起きていることが何なのか無性に知りたくなり、検索し続けた。

「組織的嫌がらせ」、「組織ストーカー」、「集団的なストーカー」。
思いつく限り、キーワードを検索し続けた。その後、「集団ストーカー」という犯罪に辿り着いた。
「私が受けている犯罪は、これだ! 嫌がらせの内容、警察が相手にしてくれない所までぴったり。」
私は、少し気が緩むと同時に、どっと疲れてベッドに横になった。

眼を瞑ると、隣に引っ越してきた不審人物が、同時に大音量で音楽を流し始める。私がベッドから起き上がると、音楽はピタリとやんだ。まるで、監視しているぞ! と合図しているかのようだ。トイレに行くたびに、真上の部屋の住人がトイレの水を流す。お風呂に入ると救急車のサイレンの音がする。とても、心が落ち着かない毎日だ。

ある日、突然天井でキュィィィィインと何かコンクリートを削るような音が続いた。その日から、肉体が微振動する被害が始まった。まるで小刻みに振動する機械に囲まれている様で、その日から寝付けなくなった。私はネットで「集団ストーカー」と一緒に、「テクノロジー犯罪」という言葉も見つけた。今では、この微振動攻撃が音響兵器を利用した空気振動だとわかるけれど、当時は電磁波攻撃を受けていると思った。

被害が始まったばかりの私は、電磁波兵器と音響兵器の被害の違いが判らなかった。その後、本当に電磁波攻撃の被害も始まった。頭が熱く、体がだるくなり、筋肉をビクッと動かされたり、心臓を攻撃されたり、性器を攻撃される遠隔レイプも始まった。私は、会社で事務作業をしており、会社でのいじめとテクノロジー犯罪に耐え切れず、とうとう自主退職した。

そして、まるで拷問部屋の様になった自宅のベッドに座り、空っぽの水槽、空っぽの鳥かごを見ながら、このままでは心が壊れてしまうと思い、実家に帰ることを決断した。そして、その判断は正解だったと今では思う。あのまま、あの部屋に一人でいたら、私は本当に壊れていただろう。地元に戻ると、仲の良い友達もいた。テクノロジー犯罪は相変わらずだったけれども、実家は一軒家のためマンションよりは多少は被害がマシだった。

私は家族や友人に集団ストーカーを説明したけれど、理解はされなかった。母は、私がおかしくなったと泣き出す始末。父は心配そうに声をかけてくれた。「今は、家でゆっくり休みなさい。」その言葉が嬉しかった。

実家に帰っても、不審者の付きまといは続いた。家宅侵入は、母が家にいる日は行われなかったけれど、家に誰もいない日は時折、部屋に異変があった。私はただ、茫然としていた。私が実家に戻る前に、行き違いの様に弟が一人暮らしを始めた。
空っぽになった弟の部屋を見ると、少し不安になった。だけど、今は父と母がいる。

母は一度、私を精神病院に連れて行こうとしたけれど、私が父経由で母を止めた。母は、私のいうことは聞かないけれど、何故か父のいうことはよく聞いた。私が二階のベッドで横になっているある日、父と母が一階で真剣に話をしていた。その日から、母は私に何かを強要したり、早く働けとか、早く結婚しろとかは言わなくなった。休めるのは嬉しいけど、少し寂しくもあった。

私は家族に内緒で、集団ストーカーという犯罪をネットで調べつくした。そして、勇気を出して被害者の集まりに参加した。年配の方、特に女性が多いことに驚いた。こんなにいるんだ…というのが、素直な感想だった。被害者の皆さんは、とても優しく接してくれた。私が漫画が得意と知って、ある女性が、この犯罪を周知する漫画を描いてくれないかといってきた。

私は少し躊躇しながらも、口は「ぜひ、やりたいです。」と発言していた。
その後、チラシ配りに参加して、連絡先を交換して帰宅した。
何故、やりたいですと言ってしまったのだろうと思いつつ、自分がやるべき仕事が見つかり嬉しくもあった。

被害者の方たちと連絡を取った。非常に理性的な方から、少し思想が危険な方まで、非常に幅広い被害者がいると肌で感じた。慎重な私は、信頼できそうな方たちとだけ、連絡を取り続けた。

空っぽになった自分、何もできない自分。だけど、私を必要としてくれる人がいて、仕事を与えてくれた。私は急にスイッチが入り、集団ストーカーを周知するためのマンガを考え始めた。これまでも、周知漫画はたくさんあるけれども、私は一応美大に出ており、絵に自信がある。けれど、その分恐らく影響力を持ってしまう。間違った情報を載せてしまっては、それが広まってしまう危険性がある。そう思い、ベテランの被害者とも相談しながら、この犯罪を一から調べなおした。

ある日、本屋で週刊誌を読んでいると、愕然とした。なんと、私が過去に書いた漫画のネタがそのまま使われていた。これは、私のネタが盗まれたのか、あるいは偶然なのかは今となってはわからない。翌週の人気投票で上位になったその漫画を見て、言いようのない悔しさが、こみ上げて来た。急に、プロ意識とプライドが沸き出て来た私は、画材を揃え漫画を描き始めた。

そして、1か月後、ボロボロになりながらも完成した。そして、完成データを被害者団体の方に渡した。とても、褒められてその漫画はすぐに被害者の間で広まり、一部のブロガーの記事でも取り上げられた。私は嬉しかった。

私はすぐに2作目のマンガを描いた。内容は依頼者の要望に合わせて、「テクノロジー犯罪の本質と、防御シェルターの作り方」にした。専門書をあさり、電磁波兵器と音波兵器を防御するためのシールドルームの作り方を、こっそり父の知恵も借りながら調査した。私が書いた漫画を元に、シールドルームを作った人も多いと聞く。今は、3作目を考えている途中だ。

ある日、ツイッターを再開した私に、脅しのメッセージが入った。
「これ以上漫画を描くな。長生きしたいならな。」
だけど、私はもう大丈夫だった。こんな連中の脅しには負けていられない。みんな、頑張って生きているから。翌週、久しぶりに友達と遊びに行った。テクノロジー犯罪の被害で体調はすぐれなかったけど、とても楽しかった。

事実がとても嬉しい。ある日、印刷し終えた漫画を被害者のイベントで配った。みんな笑顔で受け取ってくれた。私が頑張ることで、こんなに喜んでくれる人がいた。友達にも、この漫画を配った。反応はそれぞれだけど、みんな受け取ってくれた。

私はまだ生きていける。そう強く思い、簡単なアルバイトを始めた。給料は以前の3分の1だけど、この体でも、この被害でもなんとか生きている。テクノロジー犯罪は相変わらずひどく、残酷だけど、つらいのは私だけじゃない。私は、ある日地元の友達と、自然公園に行った。地元の学生による演奏会が行われていた。音楽を聴いた後、美しい小道を歩きながらふと空を見上げると、ピーちゃんそっくりの小さな小鳥が飛んでいた。私は静かにほほ笑んだ。もう大丈夫、私はもう自殺しようなんて考えない。

家に帰ると、無性に新たな漫画が描きたくなり、私は筆を執った。
私はまだ生きている。私はまだ作品を書ける。あの日見た空、青い小鳥の様に人々の希望となる作品を書きたい。それは私が消えてもずっと人々の心の中に残り、飛び続けるから…。

(完)

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